聖書に親しもう(第5話)
赦し,ゆるし

ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

『マタイによる福音』18章21〜22節である。聖書にはゆるしについてたくさん書かれているが,上記は代表的な箇所だろう。キリスト教はゆるしについてたくさんの教えを説く。そして、カトリックでは、「ゆるしの秘蹟」という儀式(?)がある。「告解」とも呼ばれている。

人間にとって、ゆるしてもらえないことも辛いが、実はゆるせないときの方がもっと辛く苦しい。「地獄とは人をゆるせないことである」と諭してくれた司祭もいる。なぜゆるせないとこんなにも苦しいのか?それは「ゆるす」も「ゆるさない」も神のみがおできになる御業だからではないか?ゆるすこともゆるさないことも、人間の不自由で弱い心ではできないのに、それをしようと思うから辛くなる。だから、憎くてゆるせない気持ちがあったら、その心をそのまま神に明け渡せたら、きっと、そう、きっと楽にラクになる。でも、それさえもお恵みによるのだろうね。

『シラ書』28章6節に「自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ」と書いてある。う〜ん。それでもまだ「ゆるせない」と思う人の顔が1つ、2つ浮かんでしまう。本当に自分が死ぬときもその人たちのことを思い出すのだろうか?

(第5話おわり)

※ 聖書の引用は日本聖書協会『聖書 新共同訳』によりました。

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